国際結婚するといつかは訪れる親の遠距離介護。
結婚するとき親はまだ元気なので、介護のことまで考えないかもしれません。
しかし月日はあっという間に過ぎていきます。
にいな
親が元気なうちは気にならなかった距離を、痛切に感じるようになったのは、両親の死を経験してからです。
父が他界した時は、最期の1ヶ月一緒に過ごすことができ看取ることができました。このときは、自分なりに納得のいくお別れでした。
しかし母はコロナもあり、何もしてあげられませんでした。
国際結婚や海外移住する予定の人は、将来の親の介護もよく考えて決断することをおすすめします。ここでは遠距離介護になった自分の体験や、気持ちをシェアさせていただきます。
国際結婚を考えている方だけでなく、日本国内でも実家から遠く離れる方にぜひお読みいただきたいと思います。
遠距離介護の母は転倒して骨折から
母が倒れたのはある年の7月のはじめでした。
きっかけは骨折でした。石につまずいて倒れた拍子に左腕を骨折して手術。
骨がもろく複雑骨折でセラミックを入れてつなぎ合わせた手術は3時間の予定が6時間かかりました。
手術後まあ年齢のこともあるしゆっくり治していこう、利き腕の右でなくてよかったねと話していた矢先なんと入院先の病院で脳梗塞になってしまったのです。
母は手術の影響なのか脳梗塞の後遺症で半身不随に。
腕の骨折のときはそれほど慌てませんでしたが、脳梗塞はショックでした。
しかも骨折した腕だけでなく、足も動かなくなり、左半身不随。言葉もよく話せなくなったということですぐに仕事の休みをとって日本へ飛んでいきました。
このときはまだコロナ前で、自由に日本と行き来できたのは幸いでした。
【日本で親の介護】 遠距離介護の開始
まだ介護というより看護ですが、病院へ行きました。病院で変わりはてた母に会ったときはかなりのショック。
言語障害が出て言葉がうまく話せず、私のことはわかりますが母がなにを話しているかほとんど分かりません。
骨折した腕はもちろん左足も動かず、なんとも悲しい姿です。
言葉が上手く話せないので最初は脳に障害が出てしまったと思いましたが、ゆっくり話を聞くうちに全て理解しているという事が分かりました。
最初は本人も自分がどこまで話せているのかがわからなかったようでした。今までのようにペラペラと話していたのが、ゆっくり話したほうが通じるんだとわかってきて、日がたつにつれ話し方のコツがつかめてきたようで、内容がかなりわかるようになってきました。
これから動かない左半身と言語障害のリハビリです。
脳梗塞などで麻痺が残った場合、とにかく早期にリハビリをするのが大切なようです。母も肩の骨折の抜糸が終わるとすぐに本格的リハビリがはじまりました。
体もさることながら言葉のリハビリが大切です。
病院でも言葉が上手く出てこないと、脳に支障が出たように思われ医療機関の方の対応も子供に接するようです。
「ごめんね~?」「ここ痛い~?」など、年配の人にそれはないんじゃないと横で聞いていて悲しくなります。
きっと体は動かなくても母が普通に話せたら、こんな赤ちゃん言葉を使われることはなかったのにと悔しくて仕方ありません。
これから認知症でわからない人でも、母のように話せなくなってしまった人でも人生の先輩に対する言葉使いは気をつけようと強く思いました。
遠距離介護の母親がリハビリ病棟へ
病院生活が続いた母はまず精神的に参ってしまいました。
日々動かない体を思い知らされ、何をするにも人の手を借りなければいけない。そして忙しい病院関係の方の中には、言葉や態度のきつい方もいらっしゃいます。
今まで自分ですべてバリバリやっていた母にとって、それはかなりの屈辱だったようです。それが精神状態をどんどん弱らせていきました。
通常の病院からリハビリ専門の病院へ移り、「とにかくリハビリを頑張って、少しでも自分で体を動かせるようにする!」といっていた母が電話でよく泣くようになりました。
そして周囲の人に、幻覚症状のようなありえないことを話すようになってきたのです。
せっかく頑張ろうと思っているリハビリにも影響が出てきました。病院で母の担当をしてくださっている方も、なんとかしないといけないと思ってくださったようです。「この場合やはり一番身近な娘さんに、帰ってきてもらうのが一番いいのではないか」と日本の家族に連絡がありました。
その話を聞いて、私はすぐに母に会いに行くことを決心しました。
幸いこちらの家族も協力してくれたので、前回の帰国から1ヶ月ほどで再度日本へ行きました。
再び遠距離介護中の母親に会いに日本へ
今度は2週間ほどの滞在予定です。
毎日母の病院へ行き、側についていました。
リハビリ病棟は個室が1部屋しかなく、大部屋を余儀なくされました。確かにここにずっといるとなると、気が滅入ります。
日本の高齢化社会を、目の当たりにした感じでした。
商売をしていた母は、とにかく周りに気を使いながら過ごしています。
しかもずっとオーナーとしてやっていたプライドはしっかりあるため、周りが雑談で話していることも、すべて自分に対して言っていると思い込んでしまいます。
私が一緒に聞いていて、たいしたことではないと思うようなことも、「ほらっ!」とひじでつついてくるのです。
そして私が「そんなことないよ」と笑い飛ばそうとすると「しっ!聞こえたら復讐される」みたいなことを言うのです。
とにかくおびえてびくびくしています。
病院従事者の方も人ですから、いつも優しい言葉をかけることもできないでしょう。「時にはきつくいわないといけないこともある」とはわかっているのですが、母のあまりにもおびえるその姿を見ると、家族は心配になってしまいます。
「家族がいる時といない時では態度が全然違うから」と、私が帰る前にはもよおしていてもいなくても、必ずトイレに行くといってきかないのです。
母は体が不自由になった分、あらゆる感覚が敏感になったようで、人の観測も鋭くハッとさせられることばかりでした。
母を見て感じた慎重すぎる日本
そして私がもう一つ感じたのは、日本は慎重すぎるのではということです。
病院の中でたくさんの患者さんがいると、きっといろいろなことがあるのでしょう。そのいろいろなことを、すべて防ごうとして規律がどんどんできています。
そうすると、すべてのことが許されなくなるような感じです。
専門外の私がとやかく言うのはおかしいかもしれませんが、あえて言わせていただくと、母のトイレにしても足の位置まで決められます。
もちろんさまざまの実証や経験をもとに、それが一番いい方法なんだろうなということはわかります。しかしその位置に足を置かないといけないんだ!落第だ!みたいになると、もうそれができないと、自分はだめなんだと思ってしまうのではないでしょうか。
私がトイレに連れて行って、ある程度教えてもらった方法でしますが、あとは臨機応変。少々足の位置が違っていてもトイレはできます。
でも母は「そんなことしたらダメ。こうしないといけないと教えられた。こうしないと叱られる」というのです。
「う~ん、何かがおかしい」とずっと思いながら病院についていました。すべてにおいて、あまりにも慎重すぎるという気がしてなりません。
病院関係者の方は責任を問われる立場なので、決められたとおりにして事故があった場合は、仕方ないとなるのかもしれません。
他人に任せるってことはそういうことなんですよね。
やはり自分の手で母を看たい。その気持ちがどんどん強くなっていきます。
しかし今の状態の母を海外に連れてくることはできません。
私が日本へ戻るか、もっと頻繁に母に会いに行くしかありません。しかし日本での生活費や交通費も大変です。いつか限界がやってきます。
母は今介護施設に入っていました。
マレーシアの介護施設と、日本の介護施設の違いもひしひしと感じました。
母が一番辛い時に遠方にいて何もしてあげられない、その罪悪感を毎日ずっしり感じていました。
この時期は、母もまわりの私達も本当に辛い毎日でした。
母とお別れ
母の介護生活について綴ってきましたが、とうとう母と終われの日が来てしまいました。
2021年2月母は天国へ旅立ちました。
私が母に最期に会ったのは2019年の11月です。その後はコロナの影響で、日本へ行くことができずオンライン面会で母と話をするだけでした。
母と最期にゆっくり話ができたのは、2019年の9月に1か月ほど一人で帰国した時です。
正気と妄想を繰り返す母と、毎日病院で過ごしました。母の姿を見るのはとても辛く、毎日二人で泣いた日々でしたが、その時間が今はとても貴重です。
正気の時に母が言った「いよいよお別れだね。情けないお母さんでごめんね。」の言葉が今も耳に残ります。
それからも母はずっと病気と闘い続け、ようやくゆっくり眠ることができました。
コロナの影響で母と会えなくなりましたが、オンライン面会で最後に聞いた言葉は「ありがとう」です。体が弱りほとんど話すこともできない中、最後までみんなに「ありがとう」と言いながら旅立ちました。
本当にすごい母親で私の誇りです。
結局母の最期を看取ることも、お葬式も参列できませんでした。
私が苦しいときは、いつでも飛んできてくれた母を送ることができなかった事が本当に辛いです。でもきっと苦しかった体を離れた魂は、すぐに私の元へ飛んできてくれていると思います。
「亡くなった人は守護神となり愛する人を守ってくれる」瀬戸内寂聴さんのお言葉で救われました。
国際結婚を考えている方、海外へ移住を考えている方は、こういう状況になる可能性もあることを十分踏まえて決めた方がいいと思います。
マレーシア情報は、こちらの記事に書いています。
参考
【マレーシア移住前に知っておきたい】在住者がお届けする基本情報から生活情報まで!にいなライフ